第20回
旧知の仲間たち
先日、高校時代の仲間たちとの飲み会がありました。
卒業してから各々の道に進み、20代、30代の頃は家庭を持ったり子どもが小さかったりでなかなか時間が合わなく疎遠になっていた人もいたのですが、40代になってから集まる機会が増えてきました。
10代後半に会って以来、40代となり久々に集まった時は、あまりにも外見が変貌を遂げていて腰が抜けるほど驚かされた友人もいました。
申し上げにくいのですが、特に男性は髪型により見た目年齢が判断しにくくなってしまうようです。
しかし、少し話を始めると一気に20数年の歳月は逆戻りし、高校時代と同じ感覚になるのが不思議です。
あの頃はこうだった、あの人は今どうしてる、こんなこともあったね、と話は尽きません。
箸が転がっても可笑しかった10代の頃と同じように、笑いが止まらないのです。
そんな中、それぞれが思春期の子どもを持つ親としての悩みや、仕事での悩み、健康の悩みなど、シビアな話しも始まります。
それに共感しあい、励ましあい、そしていつの間にか悩みすらすべて笑い飛ばしてしまっているのです。
不思議と、その頃の仲間たちには見栄や世間体など関係なく、気負いなく何でも話せるのです。
社会に出てからの友人ではなく、まだ同じ学生という立場で知り合い付き合ってきた友人だからこそ、こうやって本音で付き合えるのかもしれません。
私の高校時代は毎日学校へ行くのが楽しくて仕方がありませんでした。
携帯電話などはなく、友人とのコミュニケーションは会話のみ、とにかく学校に行かないことには話したいことや聞きたいことが伝えられないのですから、勉強目的というより友人と会うために学校へ行っていたようなものです。
そして今でも、その頃の友人とはメールよりも電話、電話より時間があれば会って話しをする、という付き合いが続いているのです。
学生時代から、私の家にはアポイントなしで自然に仲間が集まることが多く、そこへ行けば誰かがいる、という安心感がありました。
特別な用事があるわけでもなく、ただ一緒にいてたわいもない話をしているだけで楽しかったのです。
それは、面白いことに現在はうちの息子たちにより受け継がれています。 我が家には毎日のように、息子の友達が集まってきます。
部屋の中から、大きな笑い声が聞こえるとあたりまえのことながらホッとします。
現在の子どもたちはメールで会話をするのだそうで、それでは大声で笑いあい、相手の笑顔を見たりできなくてつまらなくないのでしょうか?
人とのコミュニケーションをとることがあまりにも便利で簡素になっているがために、むしろ本当の友人、仲間が作れなくなっていくような気がします。
10代の頃に心から信頼できる友人を作れることは、生涯の宝となります。
この先、それぞれの道に進み、大きな壁に立ち向かわなくてはならない時、こうやって培った旧知の仲間たちが何よりも心の救いになることは間違いないのですから…大切にしていきたいですね。