第23回
終わりなきフラメンコ
私がフラメンコを始めたきっかけは踊りからでしたが、本来のフラメンコは踊りだけではない、もっと重要な役割を持つ、カンテと言われる唄と音楽を奏でるギターがあります。
この、踊りと唄とギターの三つが一体となってフラメンコが表現されるのです。
なので、踊る人だけがいてもどうにもならなく、録音された音楽を流してそれに合わせて踊ることはほぼ不可能で、生のギター伴奏と歌い手がいてこそ表現されるものなのです。
我が家には3人のギタリストたちがいます。
夫と、まだ見習い中の息子たちです。 なので、私の場合生伴奏で踊ることに不自由はなく大変恵まれています。
というのも、フラメンコギターは他のクラッシックやジャズやフォークなどのギターとは違う奏法があり、リズムも特有で、ましてや楽譜もないので、ギターが弾けるからと言ってもフラメンコの伴奏が出来るわけではないのです。
楽譜がないということは、曲を全て耳で聴き取り、目で見てとるわけで、あとはギタリスト自身のセンスとテクニックにより表現されるのです。
ピックは使わず、自分の指と爪でかき鳴らすので相当な練習量が必要で、爪の手入れにも随分神経を使っているようです。
というわけで、ギタリスト人口の中でもこのフラメンコギタリストは数少なく、踊り手の数に対して圧倒的に不足しているのが現状です。
その中でも、新潟という地方で生のギター伴奏で踊れるというのは本当に恵まれている気がします。
歌い手はもっと少なく、新潟ではプロの歌い手はいません。
必要な時は東京から歌い手を招くのですが、東京でも踊り手の数に比べると全く不足していて、スケジュールを抑えるのに大変苦労しています。
フラメンコの歌は節回しが独特で、もちろんスペイン語で、これも楽譜はなく耳で聴き取り覚えていくので日本人が習得するのは非常に難しいのです。
最近は私も少しずつ歌を覚えて、下手ながらも生徒たちが踊る時に歌えるように心がけていますが、プロの歌い手にはとうてい及びません。
そう考えると、踊りがこの三つの中では一番簡単にできそうなのですが、これもなかなか難しいのです。
ここまで踊れたからおしまい、というのがなく、振り付けも千差万別でリズムはいくらでも複雑になり、表現の仕方も踊り手のセンスによります。
しかし、それが長年飽きることなく続けている理由の一つであり、奥深く終わりがないのがフラメンコの醍醐味なのかもしれません。
新潟という場で今までなんとか続けて来られたのも、このフラメンコの魅力にとりつかれた私自身だけでなく、我が家のギタリストたち、そしてそれを理解してくれる生徒や愛好者たちの情熱のおかげだと思っています。
今改めて心から感謝し、大切にし、これからも終わりなきフラメンコと向き合っていきたいと思います。