第11回
命名
最近の子どもたちの名前を見ると、とてもお洒落な名前が多く、ふり仮名がなくては読み方が複雑な名前が多くなってきたような気がします。
なるべく個性的でその子らしい名前をつけようと親御さんたちが一生懸命考え出した賜物なのでしょう。つくづく感心してしまいます。
私事ではありますが、うちには平成生まれの息子が二人います。
長男は健太郎、次男は康次郎、二人合わせて『健康』、単純そのものです。
この名前を知った近所のおばあさんに「あんたはハイカラなことしているのに、ずいぶん古風な名前をつけたねえ。」と言われたことがありました。 確かにそうですね。
でも、子どもが生まれた時にどんな子に育って欲しいかと考えた時、ただただ健康であって欲しい、としか思い浮かばなかったのです。
一応、名づけの本や、画数の本など一通り見てはいたのですが、結局他の考えが全く浮かばなかったまでです。
私の『正子』という今では非常に古典的な名前は、父の名前の一文字から取り、下に『子』を付けただけの最も単純極る名付け方法だったようです。
子どもの頃は、漫画の主人公のようにお洒落な名前に憧れたこともあります。
しかし、名前というのは自分が決めるのではなく、この世に命を授かった時の親たちが、色々な思いを込めて付けられるものです。
まさしく命の名前、命名です。
結局、自分の名前に不満を抱いたことのある私も、親となり、単純で古風な名づけをしていました。
というのも、父の名の一文字を授けられた私は、父の分身のごとく大変可愛がられ、愛情いっぱいに育てられました。
命名の時の、父が私へ託した思いがわかるようになり、それからはこの名前が好きになりました。
そういえば、スペインでは親の名前と同じ名を付けることができるので、一文字どころか全く同じ名前の親子が結構います。
そして、名前の種類も日本ほど多くないようで、同じ名前の人がたくさんいます。
日本は少子化が進み、一人っ子が多くなっていることもあり、我が子への思いも大きく、名づけにも力が入るのでしょう。
それゆえ、名前の種類も増え、個性的で素敵な名前が多くなっているのかもしれません。
そう考えると、本当に私は簡単に我が子の命名をしてしまったなあ、と反省してしまいます。
でも、今でも彼らへの望み『健康であれば』という気持ちは変わりません。
ありがたいことに、すくすくと健康に育ってくれたのは、この名前のおかげかな?と思うことにします。
親たちは皆、我が子に色々な思い、希望を託し、心を込めて名前を付けるのです。
その命が何よりも大切で、いとおしく、尊いものであるか、計り知れません。
生まれたばかりの命は、人生最初にプレゼントされた名前と共に一生を歩んでいくのです。
授かった命、授けられた命を皆で大切にしていきたいですね。