第18回
親離れ子離れ
我が子が生まれた時、自分はこの世で誰よりも幸せなのでは、と思えるくらい幸福感に包まれていました。
しかし、現実は体力と気力との戦いの子育ての始まりです。
二歳違いの二人の男の子の、仕事を持ちながらの育児は想像以上に大変でした。
そんな中、いつも「子育てから早く解放されたい。」と思うがあまり、一日でも早く自分の手元から飛び立つ日を待ちわびながら子育てをしていました。
そのためにも、小さいうちから人生の選択肢をひとつでも多く持たせてあげたい、好きなことを見つけて欲しいと思い、可能な限り色々なところへ連れて行き、色々なものを見たり聞いたり経験できる環境を与えてきました。それに親も便乗してたくさんの思い出を作りました。
そうなると、勉強は二の次、塾や習い事は本人の希望がなければあえてさせず、学校を1ヶ月も休ませスペインに連れて行ったこともありました。
できる限り余暇を家族と過ごす時間に費やせるように、テレビゲームは絶対に買わない、個室を作らない、子ども専用のパソコンも携帯電話も与えない、どうしても必要なら自分で自立してから持てばいい、と言い続け中学生までになりました。
育児に奔走している頃は、先が長く感じていたのに、過ぎてみるとあっという間です。
あんなに大変だった時期が懐かしく、いとおしく感じても、もう戻ることができないのです。
早く自分の好きな道を見つけて欲しい、と望んでいたとおり、長男は中学卒業と共にギタリストへの道を目指しスペインへと単身で旅たっていきました。
同級生たちは当たり前に高校へ進学していく中、わが息子が違う道を選択した時はさすがに戸惑い、悩みました。
できることなら、高校ぐらいは進学して欲しいという思いもありました。
しかし、彼の人生は彼のもの。
今まで育ててきたのはこうやって彼らが自立への道を踏み出すためにしてきたことなのだから、と思い直し、勇気を出して送り出したのです。
スペインまで見送りに行き、我が子を置いて日本に戻る時は、生まれた時の喜びと小さくて可愛かった頃を思い出し、つらく悲しく身を切る思いでした。
こうやって、自分の手元から飛び立つ日を待ちわびていたのに、いざその日が来ると寂しくて涙が止まりませんでした。
そんな姿を見られないように、出発の朝、息子がまだ眠っているうちに部屋を出た時が、私の決死の子離れの時でした。
親がいつまでも子ども扱いしていたくても、親離れはごく自然にあっという間にやってきます。
しかし、その時親がきちんと子離れができるかというと、その方が難しいのかもしれません。 その後、時々帰国する息子とは同じフラメンコという土壌に立ち、親子の関係を越えた付き合いができるようになりました。
そして父親とは、同じギタリストしての道を選んだことで、距離は離れていてもより一層身近な存在となっているようです。
そして現在、中学三年の次男も兄に早く追いつきたいと、この春スペインへと旅たとうとしています。
いよいよ完全なる親離れ子離れの時が近づいてきました。